2019年8月6日に読んだ本
以前、教誨師 というルポタージュを読んだ。
6人の死刑囚と対話をし、死刑執行にも立会い見届ける教誨師(浄土真宗の僧侶)を堀川恵子さんが取材した作品。
その第三章は昭和十六年ごろからの話が描かれており、教誨師の渡辺普相氏は小学五年生だった。
そして、その章には続いて中学生になった昭和二十年八月六日 広島でのことが書かれている。
渡辺少年と一緒に腰掛けおしゃべりをしていた友人は、熱戦を浴びその場で亡くなり、「建物の陰になって原爆の熱線を浴びなかっただけ、上着を着ていただけ」で生き延びたとは、ご本人の言葉である。
その後には
のちに、自分を責めるほどに「恥も外聞もなく」「人を押し分けて」必死に生を掴んだ それが、かかれていて、
わたしは、この本を読み始めた時、
戦争の話を読むつもりではなく、
とはいえ、
死刑囚との対話 を読むのだから、元々浮いた気持ちでもなかったにも関わらず、
それでも、心の準備がなく、つらく、
なるべく目を滑らせて読もう と思ってしまった。
今日は覚悟をして、
久々にその第三章を開いた。
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先日、長野の阿智村[ヘブンスそのはら]へ星を見に行った。
まさに、息を飲むほど美しく、ロマンチックだった。天の川もみえた。
流れ星も二つ見て、「みんな元気、みんな元気、みんな元気」と、消えた方向を追うように見つめながら急いで願い事を3回唱えた。
帰りのゴンドラから見る外も真っ暗で、
電気のない時代に生きていた人たちの間でなら
一つ目小僧やろくろ首なんかの怪談話も自然と出てくるだろう などと、
わたしはその日、光のない空間を少し、浮ついたようなふわふわした可笑しい気持ちで見ていた。
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再びこの本を読む今は、
原爆で何もかも消えてしまったその日の夜の、真っ暗な街と、
きっと人々のうえに美しく輝いていただろう星空を感じる。
同じ美しい星空を、綺麗だとか、
虫の声が可愛らしいだとか、夜の風が気持ちいいだとか、
ずっとそんなことを思っていられるなら、
少しくらい退屈でもいいと思った